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馬術という芸術 — 人と馬が一体になる瞬間

BY 編集部2025.04.27
馬術という芸術 — 人と馬が一体になる瞬間

Photo: Gallop Journal Editorial — 馬術という芸術 — 人と馬が一体になる瞬間

馬術はスポーツであり、哲学だ。扶助と呼ばれる微細なコミュニケーション、そして流鏑馬に宿る日本独自の精神。

馬術界には「馬が動いたのか、人が動かしたのか、観客にわからないのが理想」という言葉がある。これがドレッサージュ(馬場馬術)の本質だ。手綱をほとんど動かさず、体重移動と脚の微細なプレッシャーだけで馬をコントロールする。その様子はまるで馬が自らの意思で演技しているように見える。

扶助という言葉の深さ

乗馬用語で「扶助(ふじょ)」とは、騎手が馬に意思を伝えるためのあらゆるサインのことだ。手綱・脚・拍車・体重——これらを組み合わせた微細なコミュニケーションが馬術の核心にある。初心者が「なぜ動かないのか」と力で引っ張るのに対し、熟練者は馬が「動きたくなる」状況を作り出す。この違いが、馬術が技術であり哲学である理由だ。

オリンピックで唯一、動物と競う競技

馬術はオリンピック競技の中で唯一、人と動物がパートナーとして採点される競技だ。しかも馬と騎手は別々に採点されることもある。2020東京五輪では、馬場馬術・障害飛越・総合馬術のすべてで日本選手が出場し、国内での注目度が高まった。

流鏑馬に残る日本の馬術精神

鎌倉時代から続く流鏑馬(やぶさめ)は、疾走する馬上から的を射る技だ。現代の馬術競技とは異なるが、「馬と人が一体になる」という本質は同じだ。鶴岡八幡宮や日光東照宮で今も奉納される流鏑馬は、単なる伝統行事ではなく、日本独自の馬術文化の生きた継承だといえる。

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